大覚寺 ぶらり散歩再び

   この日(二〇一八年十一月二日)、高尾に入ったのは午前十一時頃。

   神護寺から西明寺高山寺と三尾の三つの寺を拝観した後、朝降りたバス停に戻ってきたのが二時四十五分頃。およそ四時間足らずのぶらり散歩の旅だった。

   もちろん高山寺の奥まで登ることができなかったので、三十分ほどは時間が短縮されたと考えると、高尾の三尾三寺院を拝観するのは、朝をもう少し早くしないと、一日の行程になる。

    ところが幸か不幸か、三十分が節約できたので、もしかすると、当初予定していた大覚寺で行われている六十年に一度の嵯峨天皇勅書の般若心経の公開に間に合うかもしれない、という思いに駆られた。

    バスが三時少し前に高尾を出る。四時前には大覚寺に着けるかもしれない。ただ、直通のバスがない。しかも、どうバスを乗り継げばいいのか、わからない。結論の出ないままバスが来てしまった。ともかく乗るしかない。

   乗ってからも調べたが、やはりはっきりしない。ともかく道路が集まっているところと思って物色すると、福王子神社まえの交差点がそれらしい。ここから東へ行けば、すぐに仁和寺である。

f:id:yburaritabi:20181114105616j:image

   見切り発車で福王子でバスを降りた。時刻は三時半。四時半の受付終了まで一時間ある。そこで山越中町というところまで行っているバス見つけた。広沢池のすぐ手前である。大覚寺にはさらに近く。

   山越中町で降りた。三時四十五分。まだ大覚寺に近づくバスはありそうだったが、もう歩いてしまえとばかりに、そこから歩き始めた。

f:id:yburaritabi:20181114110544j:image

   夕暮れの広沢池を見ながら一路大覚寺を目指すこと十五分、四時ごろに大覚寺に到着した。なんとか間に合った感じだった。

f:id:yburaritabi:20181114135051j:image

   この日は六十年に一度、嵯峨天皇勅封の般若心経を収めている勅封心経殿が開かれているということか、式台玄関を上がり案内通りに進むと、寄り道なく五大堂へ導かれ、そのまま五大堂の裏の心経殿の前に立った。

   真新しい白木で特別に設えられた心経殿への渡り廊下を進んで、心経殿の中に入る。内部は狭い。そこに勅封心経を収めたガラスケースがあり、左に警備員、右に僧侶が一人立っいて、いよいよ狭く感じる。

「これから勅封般若心経の話をしますので、拝観された方はこちらでお待ちください」

    あと数人を待って話が始まるらしい。とはいっても、肩を付き合わせるように立っても、六、七人ほどしか入れない。

    すぐに始まらないようなので、私はとりあえずガラスケースの前に立った。

    ガラスケースを覗く。紫色の地に金色で認められた般若心経の巻物があった。これが一二〇〇年前に嵯峨天皇に書写したものなのだ。

    このとき、どうしても一二〇〇年という過ぎた時間の厚みを感じることができなかった。ただ、なるほどと思いつつ、やがて始まった僧侶の話に耳を傾けた。

    疫病退散の願いを込めて、嵯峨天皇が一字書くごとに五体投地(身を床に投げ出すようにする祈りの形)を三度繰り返して、およそ三百字の般若心経を書き上げたそうである。たいへんな作業だったことは想像がつく。

f:id:yburaritabi:20181114144206j:image

京都産業大学京都文化学科 石川 登志雄 教授と下出 祐太郎 教授による復元-資料画像)

    じつは、実物は金文字がかなり薄くなっていて、そればかりか、見えない部分の方が多い印象だった。右手の薬師三尊に至ってはあることすらもはっきりとしない現状だ。復元を急ごうとする人がいてもおかしくはない。

    僧侶の説明によると、この勅封般若心経のご利益を求めてたびたび金文字の金を削り取っていったからということらしい。

    嵯峨天皇以後、国難の際に時の天皇が同じように勅封般若心経を書写されたそうで、後で霊宝館で拝観することができたが、それらと比較すると、嵯峨天皇のものが、他のものよりはるかに古いのだが、かなりいたんでいることはたしかだった。

    私が拝観したその数日前に、今上天皇(現在の天皇)がお見えになって拝観なさったという話もあった。なるほど天皇家のご先祖のものだから、当然のことである。だが、ニュースで報じられてはいないように思う。

    実際、お忍びのような形の拝観だったという。そういえば、天皇と仏教との関係が表立って云々されることはないなぁー

f:id:yburaritabi:20181114165256j:image

    帰るときは五時過ぎ、すっかり夕闇に包まれた大沢池はまた違った姿を見せていた。これが夜になり、遠景に月でも出ると、それが水面に映って、幻想的な雰囲気を醸し出すだろうと思わないではいられない。

    一二〇〇年間、こうして日々の夕暮れを迎えているのかと考えると、どうも私には、勅封般若心経のように偉い人個人のありがたい営みよりも、多くの人々が作り出したこの風景の方に心が動くようだ。