二尊院 ぶらり

二尊院

   常寂光寺の山門を出てまっすぐの道を歩くと、再び視界の開けた落柿舎を望む場所に出ます。

   ここを左手に向かって歩きます。 

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   二尊院は前々から訪れてみたかったお寺。

   木立に囲まれた気持ちのいい道をワクワクしながら歩きました。

   すると、女子高生風の女の子が自転車に乗って、すごいスピードで通り過ぎました。

   浮かれ気分の観光客の前を日常の緊張が切り裂くように走って行きました。

   これも京都なんですね。 

 

   やがて二尊院の総門に着きました。

   歩き始めて五分ほどだったと思います。

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   人気の観光地らしく、外国人も多い。

   さて、二尊院の説明を詠んでみることにしましょう。

 

二尊院(にそんいん)とは、二尊院ではないそうです。

フルネームは、小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)。

二尊院は略称なんですね。

本尊が釈迦如来立像、阿弥陀如来立像の二如来像だからだそうです。

 

紅葉の馬場

総門をくぐって目の前に現れる参道、

紅葉の馬場と呼ばれているのが、これです。

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両脇の紅葉が参道を覆い尽くさんばかりです。

ちょっとお寺のHPから画像をお借りしましょう。

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何度も言って申し訳ないんですが、あと二、三週間たてば、こうなるんですね。

参道はいったん下って、また登ります。

よくある演出です。

空間を広く見せようということなんでしょう。

でも、あざとい感じはしません。

もしかすると、ここはもともと下りの緩斜面だったのかもしれません。

自然な、というよりそれとは感じない下りなんです。

 

🍁紅葉の二尊院のイメージを代表する景色ですよね。

もう一度、紅葉の馬場を振り返って見ました。

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やはりゆったりとして、穏やかで、優しい参道です。

参拝者を迎えるお寺の気持ちの表れ、などというと穿ち過ぎでしょうかー

 

さて、再び身体を進行方向へ。

目の前に石段があります。

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ここも木立の枝葉に覆われています。

グッと見上げる先に本堂です。

 

これも寺の威厳を示すための演出なんでしょうかー

なんでしようけど、その威厳が人を包み込むように優しいんです。

威圧しないところに魅力があります。

 

石段を登り切っても、本堂はまだありません。

左手に曲がります。

すると、そこにあるのが勅使門です。

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勅使門をくぐれるとは珍しい。

勅使門はそもそも天皇の使い、つまり、「勅使」が出入りする際に使われていた、大きく波打つようにうねる「唐破風形」の屋根の格式高そうな門。

今は誰もが通ることができるらしいんです。

 

ちょっといい気分で門をくぐると、本堂とその前庭が目の前に現れます。

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二尊院平安時代初期の承和年間(八三四–八四七年)、嵯峨天皇の勅願で第三代天台座主(円仁)が建立したのがはじまり。

大覚寺嵯峨天皇が出てきましたね。

それに、天台宗天台宗といえば、最澄比叡山延暦寺

日本仏教の老舗です。

以後、一度は荒廃したそうです。

ところが、鎌倉時代初期に法然の高弟の湛空により再興されました。

当初、比叡山を出て浄土宗を開いた法然上人がここで法を説き、多くの信望を集めたそうです。

天台宗の寺に浄土宗がやってきたんです。

大丈夫でしょうか?
さらに法然の弟子、湛空、叡空が十二世紀から十三世紀にかけての六人の天皇の戒師(仏門に入るときに戒を授ける師僧)となり、二尊院は栄えました。

浄土宗の一派、嵯峨門徒の拠点ともなりました。

天台宗なのか浄土宗なのかー

やっぱりトラブりました。

嘉禄三年(一二二七年)、天台宗による新興の浄土宗の弾圧、嘉禄の法難

知恩院にあった法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るため、僧侶や武士千人で二尊院まで移送された、などというエピソード。

あんなこんなの歴史はありましたが、江戸末期からは天台宗に落ち着いたようです。

 

室町時代、ここもご多聞に漏れず、応仁の乱で堂塔伽藍が全焼、その三十年後に本堂と唐門が再建されました。

こもときは全面改修がおわったばかりで、ラッキーでした。

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(資料画像です)

二尊院の名の由来にもなっている阿弥陀様、お釈迦様の二つの立像に手を合わせました。祈り

心なしかお二人がお互いの方に少し身体を向け合っている様子に穏やかさを感じます。

 

この日は、別料金ですが、春と秋の一時期だけ開放されている茶室「御園亭」に入りました。
本堂の隣にある書院の奥にあります。

江戸時代初期の天皇後水尾天皇の第六皇女、賀子内親王の御化粧之間だったものが二尊院に移築され、茶室とされているんです。

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瀟洒な違い棚や繊細な欄間、シンプルな床の間など、もとは皇女のお部屋、品の良さを感じます。

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御園亭の拝観料に付いた抹茶のサービス。

うれしいー

茶室で抹茶をいただきながら、しばし茶室と美しい庭を眺めて、往時のセレブが楽しんだ、ゆったりとした時の流れのお裾分けを楽しみました。

 

本堂を出る

本堂の前を横切り、弁財天堂の向こう鐘楼があります。

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しあわせの鐘、というんだそうです。

自由に撞いてもいいそうなので、わずかばかりの浄財を捧げて、思い切り鐘を撞きました。

私の前に撞いた人はしばらくの間なかったのか、こんな鐘の音は二尊院に入ってから、一度も耳にしなかったんですがー

その音が長く小倉山の麓に流れ始めました。

ずいぶんとながいような感じー

 

どのような幸せがくるのか、楽しみです。

 

このしあわせの鐘と弁財天堂との間の石段を登ることにしました。

この石段は整備されていますが、かなり険しい。

ここで始めて、ここが小倉山の麓で、この石段が小倉山の斜面伝いにあることを感じました。

 

この石段を真っすぐに登った先に待ち受けるのが「湛空廟」。

二尊院で教えを広めた僧、浄土宗の湛空上人の碑が収まっているのです。

ここは小倉山の中腹にあたり、やや広くなっている、景色のいい、気持ちのいい場所です。

右手方向へ行きます。

ここに角倉了以をはじめとする角倉家の墓所角倉了以については、「常寂光寺 ぶらり」をご覧ください)があります。

因縁のある常寂光寺ではなく、二尊院墓所があるというのは、何如?

やはり、二尊院の方が老舗だからでしょうかー

 

まっ、いいやー

今度は、左手方向へ行ってみよう。

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あれっ、道を間違えたかな、と思うほど意外に長い山道を行くと、やがて開けた場所に出ます。

ここが定家邸のあった場所の候補、二つ目の時雨亭あとです。

ここからの景色もなかなかのもの。

なにか一首、と浮かんだのが、

 

このたびは   幣もとりあえず   手向山   紅葉の錦   神のまにまに    官家

(今回は、いや、今回の旅は急のことでしたので、道祖神に捧げる幣(ぬさ)を用意できませんでした。その代わりと言ってはなんですが、錦のような手向山の紅葉を捧げますので、御心のままにお受け取りください。ー宇多天皇の吉野行幸の折に道祖神への供物を忘れてきたことを、菅家、つまり、学問の神様、菅原道真が詠ったと伝えられている)

 

この日は土曜日なのに、時雨亭あと付近にはほとんど人を見かけませんでした。

意外に穴場なのかもー