祇王寺 ぶらり

常寂光寺を出て、二尊院を通って祇王寺に向かう道は小倉山の裾野をやや遠巻きに通っています。

お寺は総じてこの道から少し山方向へ入ったところにあります。

少し土地勘ができてきたみたいです。

地形と道路の仕組みがわかると、歩いていても楽です。

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今歩いている道はやがて二つに分かれて、そこを左方向、つまり、山の方へ曲がると祇王寺へ直行、こんな道筋が描けますからね。

それにしても、小倉山の裾野に点在する観光地を結ぶこの道は観光向けによく整備されています。

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歩きやすい舗装路になっていて、歩行路も左右はっきりと分けられています。

反対方向を行く人と滅多なことではぶつかりません。

それに、この道に沿って、お土産物屋やレストラン、カフェが並んでいて、便利です。

 

すこし腹が減ってきたんですが、帰りの新幹線の時間もあるので、あまりのんびりはできません。 

お店は素通りして、歩き続けました。

ただ、歩き続けた、とは言っても十分足らず。

やがて祇王寺へと折れる道にきました。

ここから山に向かって左に曲がります。

徐々に木々の数が増えてきて、緑色の影が道を覆い始めました。

そんな緑色の景色の中にふと祇王寺の表示が見えました。

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表示の先を行くと、入り口、出口が竹塀で遮られ、細かく分けられています。

 

狭い空間です。

観光客が右往左往。

そこを抜けてようやく祇王寺の中に入りました。

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寺とは言っても、伽藍もなければ、そもそも境内と言えるものがありません。

草庵がひとつあって、その前に庭がある、これだけ。

鬱蒼と茂る樹木に覆われて、晴れの日の昼間というのに、薄暗い。

隠棲の場、という方が合ってますね。

 

祇王寺の名になっている祇王のことをおさらいしてみましょう。

 

もともとここは、浄土宗の良鎮という僧侶が創建した往生院というお寺だったそうです。

のちにこの寺は荒廃し、そこに白拍子祇王が母親と妹といっしょに入りました。

平家物語』で有名な話です。

平清盛の寵愛を受けていた白拍子祇王

そこに、仏御前という若い白拍子があらわれます。

清盛は最初、祇王の手前、仏御前に会おうとしませんでした。

ところが、事もあろうに、祇王が間に入ったのです。

彼女の取り成しで、仏御前は清盛の御前へ。

清盛は仏御前を一度に気に入ってしまいます。

清盛が心変わりをしたんです。

祇王の若い仏御前への気配りが仇となった形です。

すでに無用とされた祇王は追われるように都を去り、母、刀自と妹の祇女とともに出家、往生院に入寺したのです。

ここが尼寺、祇王寺となりました。

しばらくのち、祇王のもとにふと仏御前が現れれます。

いつかは自分も祇王と同じ運命を辿るかもー

世の無常を感じた仏御前が祇王のもとで出家しました。

平家にあらすば、人にあらず

栄華を極めた清盛の周辺で起こった悲恋の物語として、平家物語で語られています。

仏御前がやってくるところが、泣かせますね。

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宝筐印塔、母刀自、比丘尼智照の墓が祇王寺の入り口附近にあります。

 

庭園は中央に苔に覆われた苔庭が広がり、これを周遊する小道が苔庭を囲っています。

小道を歩く。 

中央の苔庭にも木立ちが幾本も立っていて、その枝葉の間から草庵が見え隠れします。

木漏れ日が美しいー

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苔庭の苔は分厚い絨毯のようです。

やや下り斜面で、アンジュレーションの多い苔庭。

そして、木漏れ日ー

緑一面の苔に複雑な陰影をつけて、見ていて少しも飽きません。

私は先に進むのを惜しむかのように、ゆっくりと歩きました。

入り口の辺りはあれだけ混雑していたのに、こちらまで来る人は少ないのか、小道を歩く人はまばらです。

周遊の小道から逸れる道がありました。

その道に誘い込もうとするのか、茅葺の屋根を載せた、詫びれた雰囲気を醸す門があります。

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この先に控えの庭ともいうべき小さな庭があります。

ここもミニチュアの苔庭になっています。

ここは斜面の一番下にあるので、振り返ると、草庵は小高い丘の上にあるようです。

この景色も一興ですよ。

ぐるっと回って、また元の小道に戻りました。

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敷地の外の竹林が美しい。

まもなく苔庭を一周。

どんなにゆっくりと歩いても、十分とはかかりません。

そこにあるのが草庵です。

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上がると仏間があります。

f:id:yburaritabi:20181128081227p:image(資料画像です)

仏壇には祇王の物語の四人の主役が祀られ、その中央に本尊の大日如来

平清盛の像はあるが、仏壇の仕切り枠板に隠れているそうです。

隠されているのかもしれません。

手を合わせる 祈り

奥にあと一間がりますが、これで全て。

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奥の間、これが控えの間だそうですが、ここに大きな窓があります。

吉野窓というんだそうです。

この複雑な格子が外の景色の形を曖昧にして、季節の色だけを室内に招き入れる仕組みでしょうかー

ともかく直射日光をすべて遮る祇王寺です。

ここでも、ここまで上がる人は少ないらしく、草庵の中には私を含めて数人しかいません。

ゆったりと、静かな時が流れていました。

 

祇王寺のその後

往生院、いや、祇王寺はだんだんと廃れて、明治時代の初期に一時廃寺となったそうです。

しかし、命脈はつながっていたんです。

墓と仏像を大覚寺が保管していたそうです。

やがて、祇王の物語は人々を動かし、再建の動きが現れます。

明治二十八年、京都府より嵯峨にあった別荘一棟が寄付され、保管されていた墓と仏像が戻され、現在の草庵となりました。

明治三十八年、真言宗大覚寺派の寺院となり、今では旧嵯峨御所大覚寺塔頭寺院だそうです。

 

近年では、庵主の智照尼が瀬戸内寂聴の小説『女徳』のモデルになったり、フォークソングの歌詞に歌い込まれて、名が広まりました。

 

紅葉の盛りの頃の画像を出そうかと思ったのですが、先週末(2018年11月24〜25日)の嵐山の混雑ぶりをニュースで見ると、この時期に訪れてよかったのかもしれないとも思いました。

 

緑の紅葉に囲まれて、静かに佇む祇王寺はなんだかとても良かったですー

 

祇王寺から少し山の方へ入ると、滝口入道と建礼門院の侍女横笛の悲恋で知られる滝口寺があります。

往生院の子寺だった寺です。

ここの紅葉も有名なのですが、今回は時間の関係で、見送るしかありませんでした。