ショルティの1000人、聴きました

ハイティンクの演奏を聴いて、1000人はミサ曲かオラトリオ、なんて感じたけど、ショルティを聴くと、これはオペラだ、とまで思ってしまった。

思い込み過ぎかなぁ…、でも、これからはその見方からマーラーの8番を聴こうと思います。

第一部、グロリアと讃える有名なメインのフレーズが何度か現れるが、それらのフレーズの谷間は少しダレる感じがある。けど、ショルティのようにオペラのレシタティーボ的に演奏されると、すごく納得。マーラーがなぜこれを書いたか、分かる気がする。

その観点から二部を聴くと、これはゲーテファウストを無視しては聴けなくなってしまう。

マーラー交響曲は数多くのフレーズが複雑に交錯しながらクライマックスに向かって進んで行くのを聴くのが魅力。

でも、これは器楽的なマーラー

現世であり得ないほど様々な体験をしたファウストがついに自分の到達点を見つけたのに、悪魔メフィストに地獄へ引きずり込まれようとする、そこにかつての恋人グレートヒェンの霊や天使たちがファウストを救おうとする、現世を迷走するファウストの姿が二部の最初のオーケストラの部分、いろいろなタイプの教父、贖罪を求める女たちなどが神の慈悲の心を語るところなど、間に天使の歌も入って、まさにオペラ。ショルティの指揮は、どう考えても、オペラとして演奏しているようにしか思えない。そしてBlicket aufと神の世界をファウストに見上げるように言葉をかけて、「すべての仮初のものはただの比喩でしかない」と仮初の現世からファウストは神の世界へ導かれる。

ちょっと抽象的で哲学的でわかりにくいけど、こういう物語がここには表現され、マーラーはそれを音を重ねたのだ。