カラヤンとショルティ

よくワグナーをCDやDVDを聴きながら、歌を口ずさむことがあるんですが、たとえば、ワルキューレ第一幕終盤の「冬の嵐」なんかですが、どうしても音楽についていけないところがあるんです。

特に、速いパッセージなどは難しいんです。

ところが、ある時、いつもは歌えない部分が歌えちゃったんです。

とても気分よく音楽と歌詞に乗れて、とても良い気分でした。

そこで気づいたんですが、そのときは珍しくカラヤンワルキューレだったんです。

ショルティではどうしても歌えなかった部分が、カラヤンでは歌えたということてす。

そこで注意して聴いてみると、カラヤンはテンポにしろ間の取り方にしろ、当たり前と言えば当たり前ですが、歌も音楽全体の、しかも重要な要素として指揮してるんではないか、と思ったわけです。

ショルティの指揮はオーケストラの演奏を主体に歌を付いて来させる、そんな指揮ではないのか、と思ったのです。

わたしがコンサート的、オペラ的というのには、そんなことがあったんです。