ドゥダメルのマーラー3番を聴いた

ドゥダメルアメリカで人気があるのはわかる気がした。 

アメリカのクラシック・ファンはヨーロッパのスタンダードが好みのような気がする。

それに対してヨーロッパは伝統を壊すことに興味を持つ。

今や伝統的なクラシックの演奏スタイルを好む人はアメリカの演奏を聴くといいかもしれない。

ドゥダメルの3番はコンサート指揮者として、伝統的な演奏スタイルを外してはいない。いや、かなり高いレベルでスタンダードなマーラーを再現している。 

これはアメリカの聴衆を惹きつける必須条件だ。

ただし、演奏の端々にあまり耳慣れない粋なアクセントをつける。

それがまた、多分、ロスアンジェルスの聴衆を魅了しているのだろう。

ヨーロッパの伝統を押さえつつ、フとしたところで気を引く仕草を垣間見せて人を魅了する。

こんなところがアメリカでドゥダメルが人気のある理由ではないか。

ショルティのマーラー3番

昨日はアバドマーラー3番、今日はショルティマーラー3番。

あまりのマーラー続きで、今日は聴きたくないなぁ、と思いつつ、結局、聴いてしまいました。

本当のことを言うと、マーラー3番は完全に掴みきれていないんです。

でも、やっぱり魅力的なんですね。

マーラーはウィーン進出前から夏の休暇にはアッター湖畔で作曲する生活を送っていました。

3番もここで作曲してます。

だから、というのは、マーラーが作るモチーフに2種類あって、ひとつは器楽的に展開を想定したもの、もうひとつは、ロマン主義を経て獲得したイメージを元にしたモチーフ。

3番の第1楽章は器楽的な第1主題とイメージモチーフの第2主題、この絡み合いの仕組みを耳だけで解明するのは、わたしには難しい。

でも、いいですよね。

第2楽章も第3楽章も。

このイメージモチーフの歌わせ方がアバドは不思議なくらい自然で、アルプスの風景が見えてきそうなくらいなのに、ショルティは、もちろんちゃんとできてるんですが、映像が見えて来ないんです。

つまり、これが言いたかったんです。

続きは、また今度

 

カラヤンとショルティ

よくワグナーをCDやDVDを聴きながら、歌を口ずさむことがあるんですが、たとえば、ワルキューレ第一幕終盤の「冬の嵐」なんかですが、どうしても音楽についていけないところがあるんです。

特に、速いパッセージなどは難しいんです。

ところが、ある時、いつもは歌えない部分が歌えちゃったんです。

とても気分よく音楽と歌詞に乗れて、とても良い気分でした。

そこで気づいたんですが、そのときは珍しくカラヤンワルキューレだったんです。

ショルティではどうしても歌えなかった部分が、カラヤンでは歌えたということてす。

そこで注意して聴いてみると、カラヤンはテンポにしろ間の取り方にしろ、当たり前と言えば当たり前ですが、歌も音楽全体の、しかも重要な要素として指揮してるんではないか、と思ったわけです。

ショルティの指揮はオーケストラの演奏を主体に歌を付いて来させる、そんな指揮ではないのか、と思ったのです。

わたしがコンサート的、オペラ的というのには、そんなことがあったんです。

やっとのことで、ショルティのワルキューレ

デッカによるワグナーの『ニーベルングの指環』全曲録音は事件でした。

それまでもワルターフルトヴェングラークナッパーツブッシュの指揮での計画はあったそうですけど、実現には至らなかったらしい。

時代はステレオ録音の時代になりました。デッカが最新の録音技術で録音するときに白羽の矢を立てたのが、ゲオルク・ショルティ

当時は、ワルキューレの録音が1962年だから、ショルティ、50才前後、指揮者としては巨匠とは言いにくい、むしろ、若手から中堅といったところ。

なぜショルティ? という感じはあったと思います。なにせ、ショルティがワグナーの聖地バイロイトに登場するのは録音から20年後の1983年、しかも、これ以降、バイロイトには出ていないんです。少なくともワグナーの第一人者という存在ではなかったようです。

それでも、今でもワグナーの「指環」の録音の代表格という地位が揺るぎないほどの名演です。

録音ディレクターのカルショウの人選は確かでしたね。

ショルティオーストリア=ハンガリー二重帝国時代にブダペスト生まれ。ユダヤ系。

家系には音楽家が多いようで、ショルティもリスト音楽院でピアノを学んでいる。

20代後半にジュネーヴ国際ピアノコンクールで優勝までしているそうで、一流のピアニストだったんですね。

でも、10代の半ばでもう指揮者になる決心をしたそうです。指揮も勉強するんですが、すぐには食べられるようにはなりません。

20前後のころは、ピアノの腕を発揮してブダペスト時代はオペラ・ハウスで歌手の練習の伴奏を務めたこともあったらしい。

オペラ・ハウスでの下積み経験もかなりありそう。

どうやら指揮者として一本立ちするまでは二足の草鞋だったみたい。

先にピアニストとして売れて、ミュンヘンザルツブルク音楽祭で指揮者としてのチャンスを掴むのは20代後半。

この少し後、30代半ばでデッカはピアニスト、ショルティと契約していたらしい。かなりの青田買いだったのかも。

その後、ドイツのフランクフルト歌劇場の音楽監督になります。

でも、多分、日本で名前が知られるようになったのは、フランクフルト時代に英語圏への進出に成功して、指揮者として名前が出てきてから。

この『指環』の録音の最中にロンドンのコヴェントガーデンの音楽監督になっている。

デッカはもちろんイギリスの会社だから、デッカでの録音とともに世界的な名声を得るようになった感じがしませんか?

ちなみに1972年にイギリスの国籍を取得して、亡くなったのはフランスの地。

やぶ睨みかもしれませんが、ドイツとは一定の距離を置いていたように思います。

これは大事なところかもしれません。

さて、ここまで話してくると、オペラ指揮者かコンサート指揮者との分け方から始めないといけませんね。

でも、ショルティの場合、これまで書いてきた経歴を見ても、この分け方が単純に適応しづらい気がする。 

経歴を見ると、純粋なオペラ・ハウス育ちの指揮者とは言い難いですね。でも、オペラ指揮者としての下積みは経験している。

この人で印象に残っている映像があります。メトロノームの速さが完全に頭に入っているらしく、例えば、100なんて空でほぼ正確に再現できるんです。

すごい、と思いました。

だからすごく物静かな人か、というと、彼の話し振りから、超ポジティブ、押しの強い自信家という印象を持ちました。

正直に言って、ショルティワルキューレ第一幕を聴いて、演奏の問題点など見つけることはできません。

演奏の正確さには多分全く問題はないように思いますし、だからといって、正気のない演奏ではなく、オペラの劇的な緊張感も余すところなく伝えてくれます。

私の勝手な見方ですが、彼の性格を彷彿とさせているように思います。

ともかく、立派な演奏です。歌手は当時のワグナー歌いのオールスターですしね。

『指環』録音のNo.1にショルティを選ぶことでしょう。

ところが、最近、私にとって大変な出来事に出会って、ショルティの演奏の性格の、かなり大切な一端が見えた思いがしました。

今回は相当長くなったので、その話は後にして、この辺で終わりにします。

テンシュテットのマーラー8番、です

1991年1月27日の演奏。

ロンドン・フィルだから、テンシュテットとは名コンビですね。

独唱はハンス・ゾーティンほか8人、合掌はロンドン・フィル合唱団ほか。

なにせ、千人で演奏しなければならないんですから、全部書きあげるのはご勘弁ください。

楽譜の指示通りに演奏者を揃えると、800人少々となって、千人には及びません。

初演の興行主が「千人の交響曲」と名付けたそうですが、マーラーはあまり気に入ってはいなかったらしい。

そのマーラーが指揮したミュンヘンでの初演は演奏者が千人を超えてたそう。

おいおい

一年くらいの練習の後の初演は当時のヨーロッパの一大事件だったようで、初演に立ち会った有名人は、シェーンベルクヴェーベルンリヒャルト・シュトラウス、レーガーなどの作曲家、ブルーノ・ワルタークレンペラーなどの指揮者、ヴォーン・ウィリアムズラフマニノフ、レオポルド・ストコフスキーなどの外国人、珍しいところでは、自動車のヘンリー・フォードまでもご来場‼︎

なるほど、錚々たるメンバーですね。

さて、テンシュテットの演奏ですが、どちらかというと、コンサート・タイプの演奏でしたね。

コンサート・タイプ、オペラ・タイプ、何がどう違うのか、なんですが。

オペラ・タイプは歌中心、コンサート・タイプは楽器中心、となるわけで、これは小沢征爾さんのお話の私流のアレンジ。

歌は音を探し出さないといけないでしょう。弦楽器もそうですよ。

ところが、ピアノは鍵盤を叩けば音階が出てくる。オクターブがきっちり24の平均律に分かれている。

ところが歌はどっちつかずの音がどうしても出てきてしまう。

それを良しとするか、出来るだけ避けようとするか、でオペラ・タイプとコンサート・タイプに分ける。

もちろんどちらかにきっちり分けられるなんてことはないわけで、多分にファジーですから、念のため。

テンシュテットも結構微妙です。

ああ、言い忘れましたが、素晴らしい演奏ですから、あらかじめ言っておきます。

6番のときも言いましたが、演奏者の自発的な演奏姿勢を押さえつけることなくコントロールしている点はこの8番でも変わりはない。

8番は独唱、合唱はあるものの、やはり交響曲と言うべきもののように思う。

が、歌が交響曲の構成の中核を成しているとも、同時に思う。

素人の戯れ言を聞いていただくと、神出鬼没する無数のモチーフが絡み合い、もつれ合いながらクライマックスに向かうのが魅力のマーラーが8番ではそんなでもない。

それは歌の内容がいつものモチーフの代わりをしているから。歌の内容が曲想に変化を加え高まり、ついに終結に迎える。モチーフの代わりとはそんな意味。

テンシュテットはそういう意味で交響曲としての全体像に肩を持つ演奏なのだ。演奏後も、独唱者に拍手を送るのもほどほどに、拍手の向く先にはテンシュテットがいた。

ワルキューレ第一幕後編

さて、ジークフリート誕生秘話の話です。

男がひとり疲れ切った様子である家に辿り着きます。

そこにその家の奥さんが現れて、なぜか男を介抱する。

「水をください」という男の求める通りに奥さんが水を取りに行き、与える。

この間結構長い間、歌がなく、オーケストラだけ。

水を与えるとき奥さんと男の手か触れ合って、そう、このとき2人は恋に落ちます。早い!

男は襲われて武器を失い、追手から逃げてきたらしい。

話をするうちに、男は自分は不幸をもたらす男、フリートムント(穏やかな男)ではなく、ヴェーヴァルト(不幸をもたらす者)である、だから、すぐに出ていくという。

女は大丈夫、ここは不幸の只中にある家、これ以上不幸にはならないから、ここにいなさいという。

そこにこの家の主人、フンディングが帰ってくる。奥さんは事の経緯を説明する。そりゃそうだ。旦那のいない間に男がいたんだもの。

でも、フンディング、2人が瓜二つ、とても似ていることに気づいて、首を傾げる。

フンディングが自己紹介。

あなたはなぜ武器を持っていないの?

奥さんの質問に男は答えます。

住まいを襲われ、武器も失ったままようやくのこと逃げてきた。

その襲撃に徴集され、獲物を逃して戻ってきたが、我が家にその獲物がいようとは、フンディングが言う。

そこに奥さんが間に入る。

武器すら持っていない者を討ち取るなんて。

明日の朝まで待つ、その間に武器をどうにかしろ、明日の朝、お前を打つ。

フンディングが寝床へ向かう。奥さんもその後から。

男がひとり残る。

誇り高いヴェルズングの一員の自分が敵を前にして武器がない、と嘆く。

そこに奥さん、夫は睡眠薬で眠らせました、ご安心ください、と言い、素性を詳しく話してと求める。

人間族のヴェルズング一族に双子として生まれたが、ヴェルズングを亡き者とする一群に襲われ、一族とも兄弟ともチリジリに。

彷徨ううちに狼に助けられたが、そこも襲われ、人間の村に逃れたが、そこでは孤立して、そこも追われてしまった。

それが本当なら、もしかすると…、と奥さんも身の上を話す。

私はフンディングに拐われるように連れられ一族の前てここで婚礼の儀に立たされた。そのときひとりの老人が現れ、去り際に庭のトネリコに木の幹に剣を突き刺した。

真の英雄のみがこの剣、ノートゥングを幹から抜くことができる。

あなたは私と瓜二つです。あなたこそが真の英雄、この剣を引き抜いて、私をここから連れ出してくれる人、あなたの名前は、ジークムント、そして、私はジークリンデ。

ジークムントと名付けられた男がトネリコの幹に刺さった剣を見事に抜いた。

自分が今こそ剣と、妹であるジークリンデを手に入れた。

あなたこそあなたに相応しい剣と私を自分のものかした。

ヴェルズングのために、

と言う言葉と共にふたりは家を出て、森の中に逃げていく。

テンシュテットの6番

テンシュテットという人

東ドイツの人、なんていうと古い、みたいですけど、まだまだドイツでは、アクチュアルな話のようです。

1971年に西側に来てから、ドイツの歌劇場で音楽監督をしてたらしい。

1974年にボストンで注目。

以後は、ドイツ系の、例えば、ベルリンとかウィーンとか、よりも英語圏で人気があったみたい。

1番馬があったのは、ロンドンフィル。

長く音楽監督をやってました。

今日聴いたのはニューヨークフィルでの演奏。

1986年の演奏ですね。

フルトヴェングラーみたい」なんて評判があったらしいけど、指揮ぶりを見ると、「うーん、そうかなぁ」って感じ。

結構、不器用な指揮ぶりで、右手での拍子はフルトヴェングラーに比べるとしっかりしていますが、素人目には、分かりにくいところがあったり、左手の表情の付け方が、上げたり下げたり、だけみたいな感じで単純。

だけど、出してもらいたい音楽を余すところなく伝えることでは、たぶん、パーフェクトです。

なぜか、とても不思議です。

カルロス・クライバーみたいなのもあれば、テンシュテットアバドみたいなのもあって、指揮者のタイプは多種多様。

さて、今日聴いた交響曲第6番は、最高でした。

細かい指示に従わせる、のではなく、演奏者の意思が入らないと成り立たない指揮ぶりは、6番みたいに千変万化する強弱のあるモチーフの競演にはピッタリです。

音楽の緊張感もお仕着せでない自発的なもので、感動的でした。

この演奏は今回で2回目なんですけど、カウベルが出てきたりと、オーストリアン・アルプスのヴィーゼの光景がちっともそれらしくない感じがするのは私だけ?

テンシュテットは北ドイツの生まれ、なんですね。

ブラームスモーツァルトくらい違うかも。

でも、そこを除くと、いや、別に除くほどの違和感ではないんですけど、テンシュテットは、確かに、マーラーの名人のひとりですね。