マーラーの大地の歌を聴きました

マーラーが千人の交響曲の後に書いた交響曲大地の歌」、でも交響曲というよりも「不思議な角笛」のようなオーケストラ付きの六曲の歌曲集。

指揮はクレンペラーフィルハーモニア管弦楽団、メゾはクリスタ・ルートヴィヒ、テナーはフリッツ・ヴンダーリヒ、1964と1966録音。

クレンペラーは確実で安定した、それでいて鋭敏な指揮ぶりで歌手をサポートし全体をまとめる。歌のサポートのクレンペラーは、「ドン・ジョバンニ」なんか最高だけど、大好き。第六曲の「別れ」のクリスタ・ルートヴィヒは特に印象的。

歌詞は中国の8世紀、唐代の李白などの漢詩のドイツ語訳がベース。内容は酒の歌、秋の歌、青春や美しさや春の歌、そして、別れ。

なぜ東洋が元に? 解説では世紀転換期のジャポニズムなどの東洋への興味が元になっている、などと。本当に⁈

私はユダヤ教との関係を睨んでいる。マーラーキリスト教に改宗しているが、8番の第一部の詩はミサの定番だけど、マーラーは作曲するときこのラテン語の詩のドイツ語訳を持ってなくて、取り寄せたとか。普通は持ってるものらしい。本気で改宗してたのか?ここでは書かないけど、マーラーにはキリスト教的でないように思う点がないわけではない。反キリスト教的は言い過ぎか。ただの東洋趣味じゃないと思うよ。

同じ解説に曲を覆う厭世観を云々、それはショーペンハウエルニーチェの影響とか。本当に⁈  この二人、実はニーチェがシャーペンハウエルの読者。そして、ニーチェとずっと年上のワグナーとをつないだのがシャーペンハウエル、2人ともシャーペンハウエルのファン、こんな関係。でも、「パルジファル」でシャーペンハウエル路線を引き継いだワグナーだけど、ニーチェはワグナーと袂を分かって「パルジファル」をケチョケチョに批判した。東洋志向のシャーペンハウエルだけど、ニーチェは違う。

パルジファル」にその謎は隠されている。簡単な話にはなりそうもない。「大地の歌」は興味深い。